読売新聞 2月20日
『マイ醤油 誇り熟成』と山田小学校の取り組みが掲載されました!
(記事内容)
マイ醤曲誇り熟成
「なんかネバネバしてきた」「豆と食塩すいがうまく混ざらない」-。
醤油発祥の地として知られる湯浅町。
今月初め、もろみの香りが漂う町立山田小学校の家庭科室に子どもたちの甲高い声が響いた。
同小は、食育の一環として4年、5年生が「マイしょうゆ」づくりに取り組んでいる。
子どもたちが、大豆栽培から、仕込み、搾り作業までを2年かけて行う体験学習。
地元の醸造会社の社長や農業士、保護者らでつくる「学校応援団」のメンバーが講師を務める。
この日、4年生7人が、もろみをつくっていた。
醸造会社「丸新本家」5代目、新古敏朗さん(41)が「プロのしょうゆ屋さんも作り方は一緒」と説明し、子どもたちはペットボトルをカシャカシャと振った。
中には大豆と麦でできた麹、大豆の煮汁。金丸丈能君(10)が「本当にペットポトルなんかで、しょうゆができるの」と声をあげた。
大豆は学校近くの畑、「わくわく山田っ子農園」産。
子どもたちが昨年6月、種をまき、農産士の三ッ橋忠男さん(62)や農家の人たちと一緒に育てて秋に収穫した。
三ッ橋さんは「土いじりは初めての子どもばかりだったが、野菜を育てることの難しさ、喜びを感じてくれたと思う」と振り返った。
醤油づくりが始まったのは2004年。
「昔は山田地区全体が家族のようだった」と話す三ッ橋さんは、人口が減り、大人と子どもの交流が希薄になっていることが気になっていた。
そんな時、食育の講演会が切っ掛けで、「醤油づくりで地域を再生できないか」と考えた。
農業士仲間や新古さん、町職員らに協力を呼びかけた。新古さんは快諾した。高校卒業後、大阪の専門学校で学んでいた時、友人に湯浅出身であることを話すと、大半から「醤油の町」と返ってきた。
県外の多くの人に知られていることに驚き、それ以来、「郷土の良さを、子どもたちに伝えていかなければ」と考えていたからだ。
食育に力を入れていた山田小が賛同してくれ、計画の実現に向けて学校応援団が結成された。
今では、醤油づくりは学校の垣例行事になっている。
1,2年生の頃から、「早く4年生になって、しょうゆをつくりたい」と楽しみにする子どももいる。
活動を見守る野下康雄校長(58)は「子どもたちが様々な分野に興味を広げるきっかけにもなっている」と歓迎する。麹の胞子を顕微鏡でのぞくことから生物に関心を持ち、材料の計量から算数が身近になった。何よりも、ふるさとの産業や文化に興味を持ってくれることがうれしい。
もろみの仕込みを終えた大西美佑さん(10)は「醤油づくりの大変さがわかった。自分の町で、時間をかけておいしい醤油がつくられていることはすごい」と胸を躍らせた。
もろみは、ペットボトルの中で1年かけて発酵させる。
毎日、それを振ってかき混ぜ、5年生になった来年2月、しょうゆを搾り出す。
「彼らが大きくなって町を離れても、ふるさとの醤油を誇りに思ってくれるはず」。
生き物を観察するようにペットボトルをのぞき込む子どもたちの姿に、新古さんはそう思った。