嗜み(たしなみ) 2011年冬 NO.9号 (発売:文藝春秋)
「味噌と醤油のはじめて物語」
発酵王国ニッポンのルーツを探る
(以下記事内容)
醤油発祥地といわれる和歌山県湯浅町で、伝統的な醤油を造り続ける丸新本家の新古敏朗専務は説明する。
「覚心という臨済宗のお坊さんが、宋の径山寺(きんざんじ)(江蘇省)で学んだ時に、味噌に刻んだ野菜を漬け込む、なめ味噌の製法も学んで帰国しました。
それが金山寺味噌です。その後、近くの由良町で輿国寺を開き、湯浅町の人たちに金山寺味噌の製法を教えたんです。
金山寺味暗は、野菜を漬け込むので、たまりと呼ぶ水分がにじみ出ます。
ある時、そのたまりを料理の味付けに使うとうまかったので、これがたまり醤油になったというのです」
同社は、日本で唯一、金山寺味噌のたまり「九曜むらさき」を販売している。
金山寺味噌は、大豆、麦、米をまぜて麹菌を種つけし、三日かけて麹にする。
その後、茄子、瓜、生姜、漿蘇の野菜を刻んで漬け込む。
それから、一ヵ月半から二ヵ月かけて金山寺味噌を造る問に、重しの上にアメ色の美しいたまりが浮いてくる。
なめてみると、一般のたまり醤油よりもうま味とほのかな甘みを感じて、香りもいい。
化学的にいえば、酵母や麹菌などによって、グルタミン酸や、うま昧作用を持うアミノ酸が結合したベプチドが作られる。
香りの成分は、アルコールと酸が化合したエステルが、脳紙胞を心地よく饗するかのように芳しい。
味のよさは、世界食品オリンピックといわれるベルギーのモンドセレクシヨンで、同社の「湯浅醤油 生一本黒豆」とともに、2006年から10年まで、五年連続で最高金賞を連続受賞したことでおわかりいただけよう。
ただし、新古氏にも悩みがある。日本農林規格法(JAs)で、<醤油とは大豆と小麦の加熱処理したものに麹菌を生やして麹をつくり、これに禽塩氷を混合した諸味を、分解、発酵、熱成させてから分離した運明な流体>
と厳格に決められているからだ。
つまり、穀醤にせよ、金山寺昧暗のたまりにせよ、どちらも現代の醤油の定義から外れてしまっているのだ。
そのため、野莱を使っている「九曜むらさき」は、「醤油」ではなく、「しょうゆ加工品」として販売するしかない。
一方、味暗と未醤の関係はどうか。 一六四五年創業という八丁味噌カクキューで広轍を担当する太田高司氏の説はこうだ。
「未醤という味噌の発祥にもっとも近いのが、豆味暗だといわれています。その豆昧暗の一種が、八丁味暗なんです」 八丁昧嚼は、大豆を蒸して豆麹を造り、それを塩水で仕込むというシンプルな鍵法である。
大豆だけを使い、二年もかけて発酵・熟成させるので、うま味成分が米味噂や麦味噌よりも多い。
その間、大豆が褐変し、赤褐色になるという特徴もある。
徳川家廉が生まれた岡崎城から西に八丁(約八七。メートル>離れた旧八丁村で造られたので、この名がつけられた。
「今川義元の家臣だった創業者が、桶狭間の戦いで敗れた後、この辺りの味喉造里τ参考にして、うまい味喀の遣り方を考案しました。
八丁味噌の特徴のひとつが保存性の良さです。そのため、南極観測隊でも使われていました。
南極観測船は赤道直下を通り、極寒の南極まで行きますが、気温が高低しても、八丁味噂は塹質しません」
長期保存できるという点では、醤本来の目的にもっとも即しているのが八丁味噌といえるかもしれない。
味暗、醤油を筆頭に、漬け物や塩辛、酒、酢に至るまで、日本ほど発酵盈文化の多彩な国はない。
元気のない日本人は、発酵禽品でパワーを取り戻してはどうか。